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アユ伝統料理「コボシ」「粕漬け」 飛騨・北陸の伝統漁法(8)最終回

2021年01月27日

子どもたちにアユの捌き方を教える秋田さん(左)

 宮川の「なたべら鮎(あゆ)」をカンカンに詰め、富山県へ行商に出た岐阜県宮川村(現・飛騨市宮川町)の中嶋睦子さん(86)。1953(昭和28)年に20歳で同村杉原の中嶋屋旅館に嫁ぎ、行商にいそしむ傍ら、川魚を使った伝統料理を義母から学んだ。
 年の暮れになるとお膳を作り、えびす様に供えて豊漁を祈った後、中嶋さんは体を休める暇もなく正月のやわい(準備すること)に取りかかったという。村では年越しや正月は「コボシ」や「粕(かす)漬け」「ウルカ」「大根すし」など、アユやサクラマスを使った料理が食卓を飾った。
 飛騨では富山・氷見産の寒ブリでつくる「塩ぶりの照り焼き」が年取り料理として欠かせないが、当時、これを口にできるのは旦那衆など富裕層の一部に限られ、庶民が口にできる海の幸と言えば「煮イカ」や「塩サバ」くらいだった。それでもアユのコボシや粕漬けは塩ぶりに匹敵するほど高級料理だったそうだ。
 コボシとはアユを塩漬けした後、陰干しにして囲炉裏(いろり)の上でくん製にしたもの。粕漬けはたっぷり塩を使って塩漬けにすることでアユを硬く締め、半日ほど天日干し。そして酒粕にみりんを混ぜて1カ月ほど漬け込んで作る。今ではほとんど口にできない昔ながらの川魚料理の作り方を、中嶋さんに教えてもらった。
 食材のアユは秋口に投網や張り網、夜川網、現在は途絶えてしまったつるし網などの網漁やヤナ棚で捕獲。つるし網は増水時に川幅いっぱいにワイヤを張り、特大の受け網をスライドさせながら生け捕るダイナミックな漁だ。アユは選別して程度のいい魚は行商に持って出て、家では余った魚を使って調理したという。
 中嶋さんは富山のますすし屋から上等の酒粕を分けてもらい、隠し味に氷砂糖を使ったため「おいしい」と評判だったそうだ。コボシも粕漬けも子持ちアユを使った料理だが、魚食文化に詳しい岐阜の川人文化研究会代表の長尾伴文さん(下呂市金山町)によると、黄金色に輝く粕漬けは「宮川に生き、アユに生かされてきた人々の生活の結晶と言えます」と話す。
 飛騨市古川町の料亭旅館「八ツ三館」ではこの粕漬けを今なお独自製法でつくり続け、鮎京(あゆけい)の名でメニューに加えている。同館の秋田直樹総料理長(42)は「初めて口にする人が多いようですが、味に深みがあって酒が進むようですね」と。秋田さんによると宮川産の天然アユは味、香り、色つやがいいのはもちろん、酒粕は地元の蔵元から仕入れ、長めに漬けているので味に深みが出るそうだ。
 このほか天日干しにしたアユの塩漬けと麹(こうじ)、ご飯、大根をおけに入れて3週間ほど寝かした「大根すし」がある。こちらは作り方が多様で、材料もさまざま。中嶋さんは背割りにしたアユの腹に、拍子切りにした大根、麹、ご飯を入れて作った。アユでなく、サクラマスを使うこともあるという。
 ここまで旧宮川村の伝統料理の一部を紹介したが、当時は冷蔵庫がないため、正月料理と言っても保存が効く塩漬けや乾物が多かったそうだ。
 昨夏、市美術館で開催された「宮川、高原川の伝統漁法・魚食文化展」(飛騨市主催)の関連事業として、古川町公民館でアユの粕漬けをテーマに「作ろう! アユ・塩・酒粕 夢のコラボ料理! 味わおう!」というワークショップが開かれた。秋田総料理長が講師を務め、市内の小中学生の親子連れら6組11人が参加した。飛騨の人々の記憶を、後世に伝えようという取り組みは脈々と続いている。
 (岐阜県飛騨市・岡田直樹)

ワークショップで作ったアユの粕汁

黄金色に輝く子持ちアユの粕漬け