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昨年0勝。甲子園に棲む〝魔物〟は、ポジティブ思考で退治せよ!

2025/03/17

「まだ、オープン戦。そこ、こだわらんでいいって(笑)」
ドラゴンズの井上一樹監督が苦笑いとも照れ笑いともつかぬ表情で、報道陣の質問に答えたのは甲子園での阪神戦に快勝した3月5日のことでした。昨年は10敗1分。1勝もできなかった甲子園での2025年初戦をオープン戦とはいえ白星で飾ったのだから、ドラ番たちが〝そこ〟を聞きたがるのも当然と言えば、当然のことです。
でも今年は、ペナントレース本番の甲子園でも、きっと新監督やドラゴンズナインの会心の笑顔が見られると、私は信じています。「何を根拠に?」って…。そりゃ、現役時代から甲子園を〝得意〟としてきたのが井上監督でしたから。
そもそも、1991年5月19日のプロ初安打が甲子園。まだ投手登録だったプロ2年目。リリーフでマウンドに上がり、回ってきたプロ2度目の打席で阪神の久保康生投手から一塁線を破る二塁打を放ったものでした。
そして開幕11連勝のロケットスタートを決め、11年ぶりのリーグ優勝を果たした99年は、打者に転向していた井上監督がレギュラーに定着し、初めて規定打席にも到達した思い出深いシーズン。連勝中は打率4割と打ちまくった井上監督が、阪神ファンで埋まった甲子園を静まり返らせたのは7連勝を決めた4月11日です。同点の10回、1死満塁で中越えに走者一掃の三塁打。チームの連勝も自身の開幕からの連続試合安打も途切れることなくつなぎました。
そして、2000年代のドラゴンズ黄金時代を知るD党の記憶に残っているのは06年8月30日、今年から阪神を率いる藤川球児監督自慢の「火の玉ストレート」をバックスクリーン右に叩き込んだ一撃でしょう。1点を追う9回の攻撃もすでに2死。甲子園に「あと1球」コールが鳴り響く中、Vマジックを1つ減らす価値ある同点弾となりました。さらに3年前まで阪神のヘッドコーチを務めていた井上監督にすれば、甲子園も「勝手知った庭」といったところ。

2006年8月30日の阪神戦で、9回表2死、藤川㊨から右中間に代打同点本塁打を放つ井上=甲子園で

2006年8月30日の阪神戦で、9回表2死、藤川㊨から右中間に代打同点本塁打を放つ井上=甲子園で

かつてはドラゴンズにも甲子園独特の大歓声を「自分を応援してくれていると思って投げた」「あの大歓声を黙らせるのが快感だった」いう猛者たちがいたものです。井上監督も、そんな一人。甲子園の〝魔物〟が苦手とするのは、こうしたポジティブ思考の持ち主なのかもしれません。

館林 誠(たてばやし・まこと)
兵庫県出身。スポーツ記者として主にプロ野球を担当。1991年から2000年まで中日スポーツでドラ番。プロ野球デスク、中日スポーツ報道部長を歴任。