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まさに一期一会。星野さんと島野さんを繋いだ52年前の運命の出会い

2021/9/21

星野仙一さんと島野育夫さん。ドラゴンズファンなら誰もが知る名コンビです。ドラゴンズで11年、阪神で2年、名参謀として星野監督を支え、3度のリーグ優勝に貢献したのが島野さんでした。でも、この2人の出会いについては、あまり知られていません。

ドラゴンズ優勝パレード オープンカーから沿道のファンに手を振る星野仙一監督(右)。左は島野育夫ヘッドコーチ=名古屋市内で(1999年11月2日)

どちらもドラゴンズでプロ野球人生をスタートさせたOBですが、星野さんがドラフトで1位指名を受けた1968年は、島野さんがシーズン途中のトレードで南海に移籍した年。そして86年に島野さんが外野守備走塁コーチとしてドラゴンズに復帰したときには、星野さんはすでに現役を引退し評論家として活動中。意外なほど、ドラゴンズではすれ違いの人生でした。

そんな2人がなぜ? 実は二人が初めて顔を合わせたのは星野さんプロ1年目の69年のことです。引き合わせたのは島野さんより2つ年上で当時のドラゴンズの主力打者、千原陽三郎さん。「千原さんから『久しぶりに飲もう。新人を1人連れていくから』と連絡をもらって…」と島野さんに聞いたことがあります。

大阪・北新地のスナック。千原さんと一緒にやってきた、お酒の飲めないヒョロリとした若者が星野さんだったそうです。久しぶりの再会に話も弾みました。そんな中で、生涯忘れることなく島野さんの記憶に残っていたのが千原さんの一言です。

「『コイツは必ずドラゴンズの監督になるから。そのときは島野、お前が助けてやれ』と…。まだ新人やで。千原さんも何を言い出すんやと思ったよ。けど、その通りになっとるもんな」。島野さんが懐かしそうに、こう言ったものでした。

2人が初めて同じユニホームに袖を通したのは、その初対面から17年後、星野さんが39歳で監督に就任した86年オフのことです。前任者の山内一弘監督から受け継いだチームで、そのまま1軍コーチとして残ったのは島野さん1人。そこから2人の、長い長い二人三脚が始まりました。

「(星野)監督も、千原さんの話、覚えていてくれたんかな」と笑った島野さん。まさに一期一会。同時に千原さんの眼力にも恐れ入る2人の出会いエピソードです。

館林 誠(たてばやし・まこと)
兵庫県出身。スポーツ記者として主にプロ野球を担当。1991年から2000年まで中日スポーツでドラ番。プロ野球デスク、中日スポーツ報道部長を歴任し、現在は中日ドラゴンズ公式ファンクラブ事務局長。