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「現住所〇〇、本籍ドラゴンズ!」。おかえりなさい、大島さん

2021/7/12

7月9日のDeNA戦(バンテリンドーム)、ドラゴンズの選手たちは6月30日に大腸がんで亡くなった大島康徳さんに黙とうを捧げ、試合に臨みました。

大島康徳さんの冥福を祈り黙とうする中日ナイン=7月9日

1988年にトレードで日本ハムに移籍。ドラゴンズを離れて30年以上が経ちますが、それでも1974年の『燃えよ ドラゴンズ!』の歌詞にあるように「一発長打の大島クン」としてファンの心の中で生き続けています。

ベンチで談笑する中日勢 左から井上弘昭、三沢淳、大島康徳、星野仙一、藤沢公也=昭和54年オールスターゲーム

思い出したのは、大島さんが兄貴分として慕った星野仙一さんの言葉です。星野さんが阪神の監督となった2002年春。高知県安芸市の阪神キャンプを訪ねたときのこと。よもやま話に花を咲かせ、食もアルコールも進み、盛り上がったところで星野さんが声を殺し、バツ悪そうに「オレな、いまだにドラゴンズのこと『ウチは』と言っちゃうんだよ」とつぶやいたのです。

「ミーティングとかで、選手にいろんな話をするじゃない。そんなとき、つい『ウチは、そんな野球はしとらんぞ』とか、『ウチの連中は…』とか、言っちゃうんだよな。イカン、イカンと思うんだけど、つい出ちゃうんだよ」

燃える男もドラゴンズ以外のユニホームを着るのは、このときが初めて。現役で14年、監督で11年。すっかり染みついたドラゴンズ色は、タテジマを着ても消えるものではなかったようです。

楽天の監督時代、球団副会長時代もオープン戦、交流戦で名古屋にいらしたときには、よく食事に誘っていただいたものでした。そんなときも、どうしても話題はドラゴンズのこと、監督時代に一緒に戦ったOBのこと…。

「ホント、ドラゴンズが気になるんですね」と言うと、星野さんは笑って、こう答えたものでした。

「そりゃそうだろ。現住所が阪神だろうが楽天だろうが、オレの本籍はドラゴンズなんだから!」

大島さんも、おそらく同じ思いだったでしょう。おかえり、大島さん!そして安らかに。天国で、また星野さんと野球談議が始まりますね。

館林 誠(たてばやし・まこと)
兵庫県出身。スポーツ記者として主にプロ野球を担当。1991年から2000年まで中日スポーツでドラ番。プロ野球デスク、中日スポーツ報道部長を歴任し、現在は中日ドラゴンズ公式ファンクラブ事務局長。